関西大阪に生まれ、5 歳の頃に母親の薦めでバレエに出会う。始めは周りの友達にもなじめず、バレエにも楽しさを見出せずにいたが、 いつしか、鏡の中の自分を見るのが楽しみとなっていた。関西でも有名な法村友井バレエ学校にて8 年間バレエを学び、高校生から始めた 新体操では、経験者ばかりで競争率も激しい中、インターハイ・国体に出場し上位入賞を収める。

高校卒業後、十代のうちに築き上げたスキルと突き進む探究心を持って次なるステージを求め、子供の頃からの夢であったアメリカ・ロ サンゼルスへ単身旅立つことを決意する。渡米後まもなく、運命の糸に引き寄せられ、ジェニファー・ロペスが輩出されたダンスユニッ ト“Fly Girls” のオーディションを受け、見事2000 人の中から初の日本人ダンサーとして選ばれる。

この“Fly Girls” は当時アメリカ、 ヨーロッパでも大人気のコメディー番組であり、ジム・キャリー、ジェイミー・フォックス他今も尚トップで活躍する俳優らが出演してい たFoxTV『In Living Color』の番組内女性ダンスユニットである。
“Fly Girls” として番組レギュラー出演を果たし、多数のトークショーやCM、雑誌にもゲスト出演する。そこで、MaSaKo は生まれ持った 鋭い感覚やセンスを発揮し、言葉の壁を越えてダンサーとしての夢を実現し成功を掴む。その他、Disney VSDA、Warner Brothers イベン トin Las Vegas、Calvin Klein ファッションショー等アメリカで数多くのステージで活躍する。

その後、海外での様々な経験を活かし、日本に拠点を移す。帰国後、仕事先でのスカウトがきっかけとなり、劇団四季のオーディショ ンを受け、見事合格。MaSaKo のダンスのスキルとそのパワーは劇団四季にも一目おかれる程であった。そして入団後すぐに「日曜はだめよ !」の演目が決まり出演する。 しかしダンサーとして新たな挑戦を求め、退団を決意する。

その後プライベートで訪れたニューヨークで、アーティスト“MYA” に出会 い、ミュージックビデオ「Movin’ Out:BET Version」にダンサーとして突如出演することになる。そして、 MYA 米プロモーションイベント にダンサー出演が決まり、後にMYA 米ツアーにも参加する。

日本国内でもMaSaKo の活躍は更に勢いを増す。だが順風満帆かと思われた活動も、本番中でのアクシデントにより左膝前十字を断裂と大き なダメージを受ける。手術後、日々の辛いリハビリに耐え二ヶ月という短い期間で復帰を果たし、様々なCM、ステージ、PV、雑誌等、幅広 くダンサー・コリオグラファーとして活動を再開する。

2003 年にはASHANTI JAPAN TOUR に唯一の日本人ダンサーとして参加。
更には2000 年~ 2010 年まで日本でもトップアーティストである久保田利伸全国ツアー振付、兼ダンサー出演。
MaSaKo にとって久保田利伸は心より尊敬する存在となる。

その後もダンスアーティストとして活動すると同時に、海外での経験や体で覚え培ってきたものを伝えるべく、本気で“プロダンサーを育てたい” という想いが芽生え、現在は本格的に未来のプロダンサーの育成にも力を入れている。

MaSaKo のレッスンでは、ダンステクニックのみならず、“表現者、一アーティスト” として大切なことを様々な角度から学ぶことができる。
そして2008 年ついに本物のエンターテイメントをつきつめるべく、“自己発信”をテーマにセルフプロデュースするダンス プロジェクト‘~ Envoyer de MaSaKo(アンボワイエ ドゥ マサコ)~ MaSaKo からの発信~’ を立ち上げ、同年、翌2009 年に舞台を開催し高い評価を得て更なる成長が期待される。

本気のダンサー達が活躍できる場所を思いきりパフォーマンスが出来るステージを創りたい!
日本にとどまらず世界へ、そしてダンサーという名にとどまらず一アーティストとして、その活躍・表現の場を広げ続ける。

「MaSaKo から   あなたへ  ここから  どこかへ  日本から  世界へ」

MaSaKo の想いは止まることなく、発信し続け、進化し続けていく。

ウィキペディア「MaSaKo」2016年4月28日 (木) 23:44 のyanophoto.jpによる投稿は、このWebページの作成者によるものです。